おだやか読書日記

ミステリとかファンタジーとか

紫金陳『検察官の遺言』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

あらすじ

 地下鉄で騒ぎを起こした男が持つスーツケースの中に入っていたのは元検察官・江陽の遺体だった。男は著名な弁護士・張超で、元教え子である江陽の殺害を自供し、警察の捜査によってその証拠も見つかったことで事件は解決したかに思われた。しかし初公判で張超は突如犯行を否定し、捜査は振り出しに。なぜ張は自供を覆したのか、もし彼の主張が事実ならば真犯人は誰なのか、張の目的は何なのか。江陽殺害事件を調べるうちに、12年前の事件に繋がりがあることが判明し、その事件の裏に巨大な悪の存在が浮かび上がる。

 素晴らしかったです!以前この作者の『悪童たち』を読んだときにも感じましたが、現代中国の社会の奥に潜む闇を暴くミステリとして傑作でした。『悪童たち』では幼い子供たちの視点から描かれる犯罪小説としての味がありましたが、今作では社会的に大きな影響を及ぼす巨大な存在の悪に立ち向かう人々の存在を描いた社会派ミステリ、警察捜査小説の魅力がたっぷり詰まった作品として楽しめました。

 江陽殺害事件の真相を捜査する厳良と趙鉄民のパートと、過去の事件を追う江陽のパートで構成されており、江陽の物語が次第に現在へと下ってゆき、江陽殺害事件へ繋がったとき、明かされる正義を貫く人物の決死の計画にしばし呆然としてしまいました。

 物語が幕を閉じる最後の一文の意味が分からなかったのですが、解説を読んでその意味が理解できました。

 

 

ジョン・バカン『三十九階段』(東京創元社)

あらすじ

 第一次世界大戦が目前に迫る英国。南アフリカから帰国した青年ハネーの前に謎のアメリカ人スカッダーが現れる。彼はあるスパイ組織によるギリシア首相カロリデス暗殺計画を知ってしまったとハネーに語ると、数日後、ハネーの部屋で何者かに殺されてしまう。警察から殺人の疑いをかけられると同時に、スパイ組織からも狙われることを恐れたハネーは、逃亡の旅に出ることを決意した。

 英国冒険小説の古典的名作が、エドワード・ゴーリーのイラストともに復刊!いつか読みたいと思っていた作品がこんな魅力的な形で復刊されたとなれば手に取らざるを得ないでしょう。

 結論から言うと、とにかくハネーの冒険譚が楽しい。道行く先で出会う人々がめちゃくちゃ良い人ばかりで、ハネーの強運に思わず笑ってしまうほど。そんな彼でもピンチがやってくることもあり、スパイ組織に監禁される場面なんかはハラハラさせられました。終盤では三十九階段というキーワードとスパイ組織との対決で一気に畳みかけます。

 そして本書の目玉であるゴーリーのイラスト。スパイ組織を巡る冒険譚とミステリアスなイラストがマッチして、ストーリーの魅力を一層引き立てています。

 解説によると、作者はハネーを相当気に入ったらしく、彼を主人公とした続編が多数出ているそうです。機会があればそちらも読んでみたい!東京創元社様、いかがでしょうか。

 

ファビアン・ニシーザ『郊外の探偵たち』(ハヤカワ・ミステリ)

あらすじ

 30年以上殺人事件とは縁遠い平和なニュージャージー州郊外のガソリンスタンドで店員が殺害された。保存中の現場に偶然出くわし子どもがお漏らしをしてしまったことがきっかけで、元FBIのプロファイラーで現在第5子を妊娠中のアンドレアは、今は落ち目の新聞記者ケニーとともに事件の調査を始める。すると、50年前に発掘された骨と今回の事件が関連していることがわかってきて……。

 タイトルからもわかる通りニュージャージー州の郊外を舞台に、2人の探偵役が活躍するミステリです。色々なテーマが盛り込まれていてとても面白かったです。

 まず、舞台がアメリカの郊外ということ。そこは中国系やインド系の人々が多く暮らしている町で、役所や警察などから人種差別を受けている問題が取り上げられ、もちろん今回の事件と大きく関わっています。

 もう一つが主人公のアンドレアが妊娠中で4児の母親であるということ。アンドレアは今自分が置かれた状況に不満を持っています。夫は非協力的で日中の4人の子どもを一人で世話しなければならず自由は全くない。やりがいのあったプロファイルの仕事も子どもができたことで辞めざるを得ず、鬱屈した日々を過ごしていました。そんな時に出くわした今回の事件は自分を取り戻すチャンスであると意気込みます。

 しかしながら説教臭さとは無縁で最後まで楽しく読めました。上記の生きづらさを抱える問題も、登場人物たちのユーモアを混ぜた軽妙なセリフで心地よさが感じられます。特に好きなのはアンドレアのママ友たち。毎日の退屈な生活で暇を持て余した彼女たちは喜んでアンドレアに協力し、張り込みをはじめ様々な場面で活躍し、コージーミステリ的な味わいが最高です。アンドレアの子どもたちのやんちゃさにも思わず笑わせられました。しかも子どもの何気ない質問がきっかけで突破口が開けた場面もなかなか良かったです。

 

 訳者あとがきによるとシリーズ第2弾が刊行されているとのこと。こちらも面白そうなので翻訳されることを期待しています。

方丈貴恵『孤島の来訪者』(創元推理文庫)

 『時空旅行者の砂時計』に続く〈竜泉家の一族〉三部作の第二弾。

あらすじ

 今では無人島となっている幽世島(かくりよじま)では、45年前、島にいた13人もの人々が殺されるという凄惨な事件が起こっていた。その事件を題材にしたテレビ特番のロケを行うため、出演者やテレビクルーなどの男女9人が幽世島を訪れる。

 その中の一人である竜泉佑樹は、このロケを利用して幼馴染の復讐をするため、ロケ参加者の内の3人を殺害する計画を立てていたが、ターゲットの一人である海野が何者かに殺害されてしまう。自ら手を下すことに拘る竜泉は、探偵役となり犯人を捜し始める。

 タイムトラベルというSF設定を活かした前作も面白かったが、今回はそれを上回る完成度で、本格謎解きミステリの妙を味わうとともに、特殊設定ミステリの奥深さも感じられた良作だった。タイムトラベルという特殊設定を早々に明かす前作と違い、本書では中盤に至るまでどのような特殊設定が設けられているか分からない構造になっている。事件の謎解きの前提である特殊設定の正体が何なのかという謎すらも、しっかりと伏線が張られたミステリとして楽しめる趣向が素晴らしい。なので、本書を初めて読む方は、裏表紙や1ページ目のあらすじ紹介は絶対に読まないことをおすすめしたい。

 

方丈貴恵『時空旅行者の砂時計』(創元推理文庫)

 主人公の加茂冬馬は、肺病を患った妻が重篤な状態に陥り絶望していた。すると突然謎の声が聞こえ、妻を救うには彼女の祖先を襲った“死野の惨劇”を阻止する必要があるという。いわれるがままに2018年から1960年にタイムスリップした加茂は、妻の祖母の双子の姉・文香とともに死野の惨劇を防ぐべく奔走するが、次々と不可能殺人が起きてしまう。

 これは大変面白い本格ミステリだった。主な舞台が1960年の屋敷ということもあって、クラシカルな雰囲気もたまらなく良い。

 そして特徴的なのが、タイムトラベルを取り入れたSFミステリでもあるというところ。この設定を破綻することなく謎解きに生かされていて、終盤の真相解明シーンでは思わずニンマリとしてしまった。

 ミステリとして素晴らしいのはもちろん、ストーリーも感動的だった。瀕死の妻を救うため事件解決に奔走した加茂の最後の決断、そしてその後の世界。いやぁ、堪能しました。

 

北村薫・宮部みゆき/編『名短篇、ここにあり』(ちくま文庫)

 ミステリやSF、ホラー、文芸作品にいたるまで、北村薫宮部みゆきの目利きが選び抜いた優れたアンソロジーでした。

収録作品

半村良「となりの宇宙人」

黒井千次「冷たい仕事」

小松左京「むかしばなし」

城山三郎「隠し芸の男」

吉村昭「少女架刑」

吉行淳之介「あしたの夕刊」

山口瞳「穴 考える人たち」

多岐川恭「網」

戸板康二「少年探偵」

松本清張「誤訳」

井上靖「考える人」

円地文子「鬼」

 

 ユーモラスで思わず笑ってしまうお話があるかと思えば、恐ろしくてゾクッとする恐怖譚もあり、その中でも以下の作品は特に好みの作品だった。

 先頭の「となりの宇宙人」は、ある日不時着した宇宙人をアパートの住人達が世話をするユーモアSFといった読み味の作品。急に現われた宇宙人という状況をすんなり受け入れて、普通に生活している住人たちが可笑しくて楽しい短編。

 「冷たい仕事」は個人的に本書の中でベストにしたい作品。内容としては二人のサラリーマンが出張先の旅館の冷蔵庫の霜を一晩中取るというだけで、特にオチなどもないお話だけど、何故だか面白い。まじめな文体で、やっていることはとってもヘンテコ。恥かしながらこの作品を読むまで作者の名前を知らなかったので、他の作品も気になってきた。

 「むかしばなし」も大好きな内容だった。取材のためにやってきた大学生や教授に、自身の過去を語る老婆。その内容が次第に雲行きの怪しいものになってゆくが…。からのあのオチ、最高でした。

 「隠し芸の男」は、傍から見ると滑稽な男を描いた作品なんだけど、当人からしてみれば、あの状況で、上司からあの一言を言われたら絶望だよなぁ。辛酸を舐めながら今までやってきたことは何だったんだという想いでヤケクソになった結果、あのオチになったのかな。

 「少女架刑」は前の四編とはガラッと変わって、悲哀に満ちた苦しい物語だった。死んだ少女の視点から、少女自身の体が解剖され家に戻されるまでの過程が語られてゆく、官能的な味わいもあるしっとりとした一編。

 「網」は、かつて恋人だった女性の父親を殺そうとする話。計画とか行動がなかなか杜撰で、想像すると笑えてしまう。これは『的の男』の第一章だそうで、次はまとめて読んでみたい。

 「少年探偵」は古き良きジュヴナイルミステリといった趣で、ネタは単純だけど、読んでいてほっこりするミステリ。作中で言及されていた、「子供の科学」に載っている小酒井不木の短編というのは塚原俊夫シリーズのことだろうか。以前論創ミステリ叢書の『小酒井不木探偵小説選』でそのシリーズを読んだことがあって、このように知っているネタが出てくるとちょっぴり嬉しい。

 

 ここに挙げなかった作品も十分面白かった。このアンソロジーシリーズは追いかけようと思う。

 

購入本

楽天ブックスで買った本が届いた。

 

森見登美彦シャーロック・ホームズの凱旋』(中央公論新社

土屋隆夫推理小説作法 増補新版』(中公文庫)

はやみねかおる『少年名探偵 虹北恭助の冒険』(星海社FICTIONS)

紫金陳『検察官の遺言』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

『ハヤカワミステリマガジン 2024年3月号』

 

 森見登美彦氏が『熱帯』以来5年ぶりの新作『シャーロック・ホームズの凱旋』を上梓なされた。まちくたびれましたよ…。しかし、ようやく氏の新作が読めることは素直に嬉しい。登美彦氏のことだ、どうせまた、ヘンテコな世界でヘンテコなストーリーが展開されるのであろう。楽しみだ。

 子ども時代はほとんど本は読んでいなかったため、はやみねかおる作品も触れたことはなかったけれど、今読んでも楽しめるだろうか。

 今月のHMMは華文ミステリ特集。数年前から中国語圏のミステリが出始め、現在まで順調に紹介が続けられているのは非常に嬉しい。数作品しか読んでいないが、陸秋槎『元年春之祭』、紫金陳『悪童たち』、周浩暉『死亡通知書 暗黒者』は、本格、ノワール、歴史といったバラエティ豊かで質の高いミステリでとても面白かった。